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2024/06/08

私の経緯(会社員時代)

新卒で注文住宅販売のブラック企業(当時はブラック企業という言葉もなかったか、生まれたてだった記憶)
8時前出社ー0時や1時までが当たり前
サービス残業
週休1日
休日は書いてあったけれど、募集要項には定時が9時ー18時だった
4年目の先輩が、楽しみは昼食だけと言っていた
その先輩は毎日2時~3時まで残業していた
人間関係はすごくよかった
でも、肉体的にも精神的にも無理で
1年で限界が訪れた
自分の個性を知ってしまった後だったからなおさらかも
アフターファイブに憧れていたのに

経営者の人は、他人に彼らの人生を自分の会社に捧げてもらうことについて、どう思っているのか
「私が若いころは3日くらいは徹夜したもんだ」と自慢話する会長に、違和感を感じた

いまだにサービス残業という悪を裁く法律はできていないが
有休消化が義務になったり、日本の働きやすさはここ15年程でだんだんと良い方向に向かっていると思う
私がいたブラック企業も、コロナ後は21時消灯になったようだ

新卒から大コケしたので転職は大変だった
今と違い「石の上にも三年」、三年間は勤務しないと職務経歴として見てもらえない時代だったから
今も古い体質の会社はそうかもね
その気持ちはわからなくもないけど...それについてはまた書くとして。

会社の寮から実家に戻って人生初、パン工場の夜勤(時給が昼より高かった)をしながら就活しました
精神的にも肉体的にもボロボロになった状態の就活ってとてもキツイ
当時はまだ履歴書は手書きだったし
自分に自信を失ったまま、自分を売り込まなければならない「面接」というものを、当時はよくできたなぁと今も思う

なんとか半年後に転職成功
でもフルタイムなのに手取り13万もないの。ボーナスも2万くらい
女性はみんな実家から通っていて
男性でも、課長になっても300万ないらしかった
そんな会社もあるって人生勉強になった
成長の幅のない仕事と低い給料と、会話のほとんどない職場環境で
自己肯定感を失わないために
世の中の成功者や社長が読むような本を片っ端から読み漁っていたのがこの頃。(金持ち父さん貧乏父さんの作者の本とか。おかげでそっち系ばかり頭でっかちになった)
私はとにかくまた名古屋で一人暮らししたかったから、
私はとにかくまた名古屋で一人暮らししたかったから、
早朝一人朝活して宅建と英語を猛勉強して次の転職に備えました

転職活動していて気付いた。私、確かに就職したいけれど、縛られるのを心底嫌がっている
正社員となると残業は当たり前になるから自分のスケジュールも立たなくなるし
人間関係でつまずいたら嫌だし...
そんなことを考えたら、ニ次面接に進むにつれて、頑張る気が起きなくなってしまった(甘い、と叱られるかも)
もう派遣でいいんじゃないか
これが当たりで、派遣社員になったとたん給料が前職の8万くらい増えて、見事名古屋での一人暮らしに戻ることができました

そのあともいろいろ
また派遣社員から正社員に挑戦したりもしましたが
営業という仕事がどうしてもできず、また事務の派遣に戻るという

その頃から既に「歌うこと」が止まらなくなっておりまして
「オープンマイク」という、新しい自分の表現の場所を見つけてからは

「歌を人生の中心にしよう」

と決めて
歌い続けられるならどんな仕事でもいい、と
時給の良いアルバイトを探したときに見つけたのが

今している「セラピスト」という職種です(^^)

※写真は本文と直接関係はありません

追記

正社員じゃないといけないと思っている人へ

確かに、私は正社員の職から逃げました。
私にとってのそれはあまりにも肉体と精神に負担がかかることだったから。
「だらしがない」と思いますか?
「自分だって我慢している」と思いますか?
でも、我慢できる範囲って、人によって様々だと思いませんか。
ここを越えたら死んだほうがマシと思うレベル、そのレベルを測る定規って、どこにあるんでしょう。
それは一人ひとりの中だけにしかなくて、外からは絶対見えないから
比べることなどできないのですね。
その仕事がある人にとっては楽にできることでも、ある人にとっては死にたいくらい苦痛になるという場面が
結構あると思うのです。
私は確かに、平均的にみると大人になりきれていなかったり、社会不適合者かもしれない。
でも人って完璧な人はどこにもいないですもの。
いろんな人がいて世界は成り立っているのだと思います。
生き方は人それぞれなので、柔軟に考えてもいいと思います。
まずはストレスのない生き方を見つけるのが誰にとっても先決なのではないでしょうか。

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